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2025年

  • 2025年3月4日
  • 2025年3月15日

『ストーリーが世界を滅ぼす』の要約【書評】

SNS上ではさまざまな情報が飛び交っている。それらは、単なる情報なのではなく、発信者の感情や立場を背景に、加工された情報であることが多い。同様に、従来のメディアである新聞やテレビも、長らくそのような加工をしてきたことが、視聴者の知るところになった。 特に最近は、メディアの影響力を争う過程で、SNSと従来メディアが対立する言説を発信することも少なくない。このような有様は、まるで語り部同士のストーリー […]

  • 2025年2月8日
  • 2025年2月13日

社会が暴力的になる前兆〜社会的弱者の権利主張への反発〜

この記事では、社会が暴力的になる背景を分析する。 昨今、社会は徐々に暴力的な傾向を帯び始めていると思われる。世界各地で分断が叫ばれ、違う立場の人間が互いを罵り合うというような光景は珍しくない。そういった政治的な領域だけではなく、日常生活においても、従来の調和を重んじる人間関係から、より直接的で対立を厭わない人間関係に移行しつつあるように感じる。 「意見が合わない」や「対立を厭わない」ということそれ […]

  • 2025年2月6日
  • 2025年2月6日

人間関係の基礎論

この記事では、人間関係について考察する。 なぜ人間関係について考えるかというと、人間関係における遠近感、距離感に、私がしばしば混乱するからである。そこまで考える必要もなく、なんとなく適度な関係を結べる人は、このようなことを考えておく必要はないのだろう。しかし、おそらく哲学に興味をもつような人間は、日常のなんとなくで済ませている事柄をきちんと整理をしたがる傾向にあると思う。そういった、いわば、哲学的 […]

  • 2025年1月29日
  • 2025年2月3日

『これからの男の子たちへ』太田啓子著の批評2

『これからの男の子たちへ』太田啓子著の批評1のつづきである。 『これからの男の子たちへ』太田啓子著の批評1 疑問点 潔癖にしすぎることによる弊害 次の疑問点は、子供の世界を、クリーンにしすぎていいのかというものである。いわば、倫理的に潔癖にしすぎてはいないかということである。 本書において、男の子だからという理由で、問題行為を放置することが、有害な「男らしさ」につながるのではないか、という主張がな […]

  • 2025年1月28日
  • 2025年2月3日

『これからの男の子たちへ』太田啓子著の批評1

『これからの男の子たちへ』という本を読んだ。内容は、旧来のステレオタイプ的な「男らしさ」の価値観がもたらす弊害について論じられている。 論じられている内容は、どれも原理的に正しく、そうあるべきだと思えるような内容になっていると思う。一方で、その原理的な正しさゆえに、理想論的な要素があるように思えた。また、やや著者個人の主観性に傾いているようにも思えた。 以下、本書の賛同できる点と疑問点を論じる。 […]