『チェンソーマン』の設定はなぜ雑でツッコミどころ満載なのか

『チェンソーマン』の設定には、ツッコミどころがたくさんある。ちょっとありえなそうな設定だったり、若干雑に感じる設定もある。

だが、そういった設定にも意味があるのではないかと思われる。

そこで、今回は、そんな『チェンソーマン』の設定のツッコミどころを取り上げ、なぜそのような設定なのか考察したい。

 

『チェンソーマン』設定のツッコミどころ

①父親の借金

まず、デンジは父親が残した借金を肩代わりしているのだが、その借金が、今まで返した分を引いて、3800万円以上もある。

父親はそんな大金を一体何に使ったんだ?と疑問に思うところだが、その説明は一切ない。

それどころか、父親がどんな人物なのか、デンジは父親を憎んでいるのか、それとも好きなのかといった描写もない。

②ヤクザのバカさ

そして、そんな父親に大金を貸したヤクザは、バカである。

まず、明らかに返せそうにない人間に貸したこと。そして、その取り立てを、当時幼い子供だったデンジに行っていること。しかも、デンジに、次の日までに70万円用意できなかったら体をバラして売ると言っている。世紀末の世界じゃあるまいし、そんなことをしたら、捕まる。

さらに、ゾンビの悪魔と契約して、自我まで乗っ取られる始末である。こんな奴にヤクザはつとまらないだろう。

③社会の設定

最大のツッコミどころは、『チェンソーマン』の世界における社会が、一体どんな制度なのかである。

というのも、街の風景は、現実の普通の社会のようであり、特に治安が崩壊しているわけではない。社会福祉もインフラも整備されているようだ。その証拠に、デンジは、山小屋に住んでいるのに、水道代を払わされている。(水道の通っていなそうなボロ屋なのに)

なのにもかかわらず、幼少期からデンジに借金取り立てを行い、デビルハンターをさせ、極貧生活を送らせているヤクザがまったく取締られていない。これは、明らかにおかしい。

そもそも、デンジが義務教育を修了したかさえ疑問である。

このように、一見、現代的な秩序のある社会なのに、デンジのまわりだけは、治安が崩壊しているのである。

④臓器売買の無意味さ

最後に付け加えるならば、デンジが金を稼ぐために、いくつも臓器を売っていることは、あまりにも無意味である。

デンジによれば、腎臓120万、右目30万、睾丸片方10万弱で売れたらしい。

これに対して、デビルハンターとして、悪魔1匹を倒すことにつき30〜40万円稼げるのだ。つまり、一番高い腎臓の額でさえ、デビルハンターの仕事を3〜4回すれば、稼げるのである。

だったら、臓器など売らずに、デビルハンターをし続けたほうがよっぽどましだろう。特に、右目を売るのは、デビルハンターとして戦うための効率を大きく下げるため、最悪の選択である。

 

設定のツッコミどころの意味

以上のように、『チェンソーマン』の設定、特に、デンジが公安所属のデビルハンターになる前の設定、つまり、物語の導入部分の設定が、もはや雑と言わざるを得ないのである。

また、普通だったら、デンジは、自分が酷い目に遭うきっかけとなった父親や、ヤクザに対して、恨んだり、敵対心を持ったり、その後も振り返ったりするはずである。なのに、そういうことはほぼ描かれていない。

このように、物語やデンジの背景の描写が不十分であることは、事実である。だが、これを『チェンソーマン』の物語としての欠陥だと捉えるべきではないようにも思える。

というのも、こうした一見雑で、「現実的にありえないだろう」と思えるような設定が、実は、作品全体やデンジの性格に、いい意味での「現実離れ感」を与え、物語が悲惨な暗さをまといすぎないようにする効果があるように思えるのだ。

仮に、本当にこうした設定やデンジの心情を細かく、性格に描いていたならば、読者・視聴者は、そこに感情移入しすぎてしまう。そうなると、この作品のポップさやギャグ的な明るい雰囲気が損なわれてしまう。

デンジの性格はその典型で、彼は能天気で本能に従順で、間が抜けたところがあり、かつネジが外れている。彼の生きてきた環境は悲惨でありながら、彼には本質的な明るさがあって、ポジティブさがある。

こういった、作品のダークさと軽薄さの奇妙なバランスを演出しているのが、いい意味での設定の「現実離れ感」なのである。