AIを使っていると、間違った答えを出すことがある。いわゆる、ハルシネーションというやつである。
それで、「何か怪しいな、これ間違ってんじゃない?」となると、結局、AIが合っているのか確かめるために検索することになる。
だったら最初から検索すればいいじゃんと思うのだが、多分、最初からは調べなかった。AIが合ってるか怪しい答えを出してきたから調べる気になったのだ。つまり、確かめるためになら、検索する気になるということだ。
こう考えると、単に何かを調べたいという欲求よりも、間違いを訂正したいとか、確かめたいという欲求の方が強いといえるのかもしれない。
そして、それは私だけじゃないのかもしれない。
確か昔、間違った知識で鉄道オタクを釣るというイタズラが、2chか何かであった。鉄道オタクのいかにもオタクらしい厳密さを揶揄うものだったと思うが、これは他のオタクに対しても当てはまるだろう。
SNSにおいても、何かを教えて欲しいときは、単に教えてと言うよりも、間違った知識を言うと、それを否定したい人々が群がるから効果的らしい。
こう考えると、人はカレンダーが傾いていると直したくなるように、間違っているものや疑わしいものを検証して、訂正したくなる習性があるのかもしれない。
であれば、テキトウであることにも意味ある。
AIが間違えるおかげで、本来だったら調べなかったことを調べる。だとしたら、AIのテキトウさも有益だ。
そして、これは人にも言えるかもしれない。
人は間違えると叩かれるから慎重になりがちだが、人に調べることを促すという意味で、テキトウなことを言う人は、案外有益な存在かもしれない。もちろん、受け手が情報を鵜呑みにせず、確かめる限りにおいてではあるが。

