まだマシな民主主義
民主主義という政治体制は、元来、問題はありつつも、最善の体制だと表現されてきた。有名なのが、ウィンストン・チャーチルの
「民主主義は最悪の政治形態である。これまで試みられてきた、これ以外のあらゆる政治形態を除けば」
という言葉だろう。これは、当時のイギリスの社会情勢を皮肉的に表現しつつも、独裁よりはマシだということを言っている。
民主主義の限界という主張
だが、近年、民主主義の欠点が取り沙汰されるようになった。なかでも特に、リーダーシップの欠如と、意思決定の遅さについて、いろいろ言われてきた。
それが顕著だったのがコロナ禍で、日本が強制力をもった対策をできずにいるのを尻目に、他の強権的な国家が、国家権力を背景に、国民の行動を強烈に統制し、一時はウィルス感染を封じ込めたかのように思えた。
また、強力なリーダーシップを発揮できる国の政府は、先端技術、特にIT関連への投資の判断も早く、それによって成果を上げていたから、持ち上げられてもいた。
これに対し、日本はリーダーシップの欠如と、おそらくそれゆえの判断の遅さによって、いくつかの側面で遅れをとってきた。
その結果として、民主主義の判断・決定の遅さについての批判がなされ、民主主義の限界を唱える声もあった。
民主主義の遅さのメリット
しかし、この民主主義の遅さにも、ポジティブな意味を見出しうるのではないか。そして、その意味は今後より重要になるのではないか、と思えるのだ。
では、民主主義の遅さの最大のメリットは何か。
それは、感情を風化させることである。
民主主義は、選挙というプロセスを経る。ゆえに、政権=政治運営者が変わるスピードが遅い。これは、すなわち、国民の意思が反映される速度が遅いということである。
この意思の反映の遅さはデメリットのように思えるが、この遅さによって、政治が一時の感情に流されるリスクが減る。
人間は感情的な存在であり、時に感情のままに判断し、いきすぎた行動をすることもある。
特に、近年は、SNSによって、人々の感情を掻き立てるようなニュースが拡散されやすい。そして、それらのニュースに憤りを覚えた無関係な人々が、当事者に私的な制裁を加えることも珍しくない。
このように、事件が起きて、それに即座に対応することは、感情的な行動に繋がりやすく、問題が起きやすい。
そして、これが国が行う判断であれば、その判断の重みは増し、取り返しがつかない問題が生じかねない。
ゆえに、民主主義の遅さは、人々の感情をいい意味で風化させ、そこから過剰な感情を取り除くというメリットがあるとも考えられるのだ。
早さと遅さのブレンド
一方で、確かに民主主義の決定の遅さが、仇となり、国の投資が遅れ、期を逸してきたことは事実だ。
ビジネス的には、失敗するリスクも承知で、即断即決で飛びつくということが重要なこともある。
こうした早い判断は、上記のように、民主主義の構造上難しいことであり、それが民主主義のメリットでもありデメリットでもある。
この早さと遅さを、たとえば、政治的に重要な決断は遅い決断、ビジネス的で取り返しのつく決断は早い決断といったように、上手い具合にブレンドする仕組みがあればいいのだが。