ネット上でも、リアルの場でも、「承認欲求」は何かと批判されがちである。
確かに承認欲求が目に余るような投稿や言動は見かけることがあるし、そういったものは批判され、煙たがられるが、そもそもあらゆる発信や職業は、誰かに認められたいという承認欲求に少なからずもとづいているはずだ。
だとしたら、批判される承認欲求と、肯定される承認欲求の違いは何なのか。いわば、承認欲求の善悪について考える。
批判される承認欲求
まず、煙たがられ、批判される承認欲求について考える。
たとえば、
・高価なブランドものを見せびらかしたり、自分のステータスのアピール=自慢話
・忙しい・寝てないアピール
・熱やメンタルを病んでいることのアピール
・知識マウント
・目立ちたいだけの迷惑行為
これらは、うざい承認欲求として批判されるだろう。
肯定される承認欲求
次に、肯定される承認欲求について考える。肯定される承認欲求は、そもそも、それが承認欲求として捉えられていない場合が多い。
たとえば、
・SNS上での有益な情報発信
・イラスト投稿
・面白い話
・ためになる話
こういったものは、肯定される承認欲求だろう。
そして、そもそも職業全般が、少なからず承認欲求にもとづいている。なぜなら、そこには、プロとして「認められたい」という思いが必ずあるだろうからだ。
承認欲求の質の違い
では、批判される承認欲求と、肯定される承認欲求の違いは何なのか。
まず、批判される承認欲求は、誰かに「すごい」とか「いいね」と言ってほしい、すなわち人に承認されたいという欲求があからさまで、見え透いているのである。
つまり、「認められたい」という自分のエゴが先行しており、他人に「認めさせたい」という意図が隠れている。人はそのような意図に敏感である。そして、そのような自分の感情の自発性を侵害することに対して、怒りを覚える。ゆえに、こういった承認欲求は批判される。
一方、肯定される承認欲求は、まず最初にギブがある。つまり、相手に対して、何か有益なものを提供している。これが第一の明確な違いである。否定される承認欲求は、大抵、相手に有益なものをもたらさない。
そして、より本質的には、否定される承認欲求とは対照的に、相手に先に何かを渡し、それに対して、相手がどう思うかを相手に委ねている。つまり、認めるか否かを相手の自発的な感情に任せているのだ。
ここに、相手の尊重と謙虚さがあるのである。
ゆえに、いくら有益なものを渡そうとも、相手からの承認をあからさまに求めすぎると、批判されることになるのである。
成熟と未成熟
これは、成熟と未成熟の違いでもあるだろう。
否定される承認欲求は、
すごいと言ってほしい→ほらこれすごいでしょ→すごいって言って!
という稚拙で子供っぽい自分本位な欲求であるが、
肯定される承認欲求は、
すごいと言ってほしい→すごいと言ってもらえるようなものを、相手に与えよう
という相手のことを考えた上での、自分の欲求なのである。
これは、北風と太陽的な構造であり、「相手の立場・思いを考える」ということがやはり、普遍的な正しさなのだろう。