なぜ、他人の評価は気にするが、親しい人の評価を気にしないのか

 

事例

よくSNS上での評価をめぐって、さまざまなトラブルが生じている。顕著なのは、アンチによる誹謗中傷だが、高評価を求めるあまり、嘘をついたり、炎上したりと、行き過ぎてしまう例もある。

SNS上での評価は、言ってしまえば、赤の他人の評価である。それなのに、なぜその評価をそこまで気にするのか?

一方で、匿名の評価は気にするが、近い人の評価はそこまで気にしていないことが多いだろう。これはなぜなのか?

なぜ、友人や家族のような近い人の評価・意見の方が、生活上重要なのに、SNSの匿名の評価など、遠い人の評価・意見を重視するのか?

 

仮説

人は、より多くの人から肯定的に評価されたいという欲求をもっている。

そして、そのためには、遠い人からの評価の方が重要である。

よって、遠い人の評価を気にする。

 

分析

近い人

近い人とは、自分にとって、距離が近い人であり、より親しい人である。たとえば、知り合い、友人、家族などである。

人は、こういった人と、安定的な関係をもっている。つまり、その人との関係は、他人と入れ替え不能である。

入れ替え不能であるとは、他の誰かと同じではないということであり、明確に「その人」個人として、自分にとって区別されている人である。

遠い人

遠い人とは、距離が遠く、さはど親しくない人である。あるいは、全く知らない人である。

こうした遠い人との関係は、不安定であり、薄い。つまり、いつ関係がなくなるかわからないし、仮になくなっても、入れ替え可能な関係である。

入れ替え可能ということは、その人がその人として重要なのではなく、他の誰かと同じような人として捉えているということである。

区別の認知

このように、近い人と遠い人は、その人個人として、区別されているか否かが異なる。

言い換えれば、その他大勢の人とは別の個人なのか、それともその他大勢の中の一人なのか、である。

 

結論

なぜ近い人の評価を気にしないか

まず第一に、近い人との関係は安定しており、その評価も安定していて、今更評価を気にしなくてもいいと考えられる。

そして、第二に、親しい人は、大勢の他人のなかの一人ではなく、他人とは切り離された個人であるとみなされる。となると、その人の評価・意見は、あくまでも他の人から区別されたその人個人の意見にすぎないことになる。

つまり、一個人の評価・意見であり、広がりをもたないのである。

遠い人の評価=世間の評価

一方で、遠い人は、大勢の他人のなかの一人であり、その大勢の他人=世間から切り離されていない。そのため、遠い人の評価・意見は、その大勢の他人=世間の評価・意見と同じように認識される。

要するに、遠い人は、他人の代表のような存在として捉えられるのである。

遠い人の評価を気にする理由

人は、より多くの人と仲良くなり、関係を拡張しようとする。あるいは、少なくとも、他人に対して、実際に仲良くなるかどうかは別として、潜在的に友好的な関係を築けるような状態でありたいと思う。

ゆえに、こうした遠い人の評価を気にすることは、生存戦略上の本能なのかもしれない。

 

まとめ

人は、匿名的な他者を投影できる遠い人の評価を、しばしば、近い人の評価よりも大事にしがちなのである。それは、人が良好な人間関係を拡張していきたいという本能的な意志をもっているからである。

そのため、仮に自分が誰かに、遠い人=他者一般としてその評価を重視された場合、自分はその人にとって遠い人で、他の匿名的な他人とさほど変わらず、個人として明確には区別されていないといえる。なので、喜ぶべきかどうかは微妙である。

また、逆の場合も、さほど気にすることもないのかもしれない。