保育園での罰金が遅刻を増加させた実験について考える

イスラエルで保育園を舞台にある社会実験が行われた(U.Gneezy & A.Rustichini, 2000)。

その実験とは、保育園において、保護者が子供を迎えに来る時間が、規定時間よりも遅れることを解決するために、お迎えが遅れたら罰金をとるという制度を導入するというものだった。

その結果、遅刻数が減ると思われたが、実際は逆に、遅刻が増加したのである。

 

この実験への一般的な解釈は、利用者の心理が、

迷惑をかけたくないという道徳的原理

から

金を払って延長できるという経済原理

に変化したからとされている。

 

より専門的には、内発的動機づけから、外発的動機づけに移行したからと説明される。

これは、アンダーマイニング効果とされ、内発的動機づけだったのに、報酬などの外発的動機づけにされたことで、内発的動機づけが低下するとされる。

例としては、「ソマ・パズル実験」(1971)がある。

この実験では、ゲームを無報酬で純粋に楽しませると、プレイ時間は徐々に伸びるのに対して、ゲームクリアに報酬を与えると、与えた時はやるけど、なくなった途端やらなくなるというものである。

 

考察:

なぜ、罰金が遅刻を増加させたのか?その原因は、複合的だろう。

一般的解釈のように、

・気遣いだったのが、金銭的やりとりになった
→心のやり取りが金のやり取りになった

と考えるのがまずは正しいだろう。

 

その上で、一歩踏み込んで考えると、

・金を言い訳にできるようになった

とも考えられる。今まで、遅刻した人は、保育園に対して、貸しをつくっていた=立場が低下していたが、金を払うことで、それがなくなったとも考えられる。

人間は、貸しを作ることを好まない。特に他人に対して、受け取りっぱなしだと心苦しい。だから、何の見返りも与えずに遅刻することは、心苦しかった。

だが、金を払うということが、互酬性を生み、立場の不平等を解消し、心理的なハードルを下げたと考えられる。むしろ、金を払うことで、保育園の役立てるという思考になっていてもおかしくない。

あるいは、少し前に、金を払っているのだから、給食に対して「いただきます」と言う必要はない、というような意見がネット上で物議を醸した。

ここに現れているのは、金を払うということが、そこに相手への配慮・道徳的な振る舞いをしない免罪符のように捉えられているという心理だろう。つまり、金を払うことは、相手を気遣わないための手段であるという考えだ。

この考えを用いると、金を払うことで、遅刻することによって相手に迷惑をかけて心苦しいという配慮をしなくていい権利を買った、ということになる。

いずれにせよ、人は弱い。だから、心苦しさから逃げたくなる。金はそのために都合のいい言い訳であるような気がする。