ラーメン二郎や二郎系のお店(以下、二郎系)は、その独特のルールから、ネットで批判されがちである。
代表的なものが、「コール」と呼ばれるルールで、店員が「ニンニク入れますか?」と聞いてきたら、「ニンニク・ヤサイ・アブラ」などのように、入れたいトッピングを答えるというものだ。
この問いかけに、普通に「はい」と答えたら、店員がイラつきながら、聞き返してくることがあった、と言われている。(真偽不明)
二郎系には、このような独特のルールのようなものがいくつかあり、それがネットで怒りを買い、批判されている。
確かに、この「コール」は、どう考えても日本語として成り立っていないし、初見の客はわかるわけがない。不親切ではある。
だが、なぜ怒るのか?
それが嫌なら、店に行かなければいいじゃないか、という意見もある。
この両者の意見について分析していく。
批判と擁護の意見の分析
ここには、興味深い意見の対立がある。
おそらく、批判する人と、擁護する人には、以下のような考え方の違いがあると思われる。
A:批判する人
飲食店は誰でも入れる場所である。
誰でも入れる以上、初めて来た人にも分かるようにするべきである。
よって、理解不能な独自ルールを押し付けることは批判されるべきである。
B:擁護する人
店のあり方は、その店が独自に決める。
よって、店が店独自のルールを持つのは自由である。
客の方も、その店に行くか行かないかは自由であり、店に行くならば、店に合わせるべきである。
これを分析し、整理すると、スタンスの違いに帰着する。
A:批判する人
店=パブリック
店のルール<社会常識
→(社会常識に従っている人ならば)誰でも受け入れるべき
B:擁護する人
店=プライベート
店のルール>社会常識
→それぞれの場所に、それぞれのルールを認めるべき
つまり、両者は、飲食店の社会的な立ち位置に対する認識の違いがあるのである。
飲食店はプライベートかパブリックか
プライベートの例
プライベートな場所とは、何か。
例えば、人の家にお邪魔するときには、その家のルールに従うというのは当然だろう。これは、相手の家に行くということを「お邪魔する」と言っていることからもわかる。
「お邪魔する」ということは、本来そこが相手の場所であり、自分は相手に許されて入れてもらっているということになる。
そうである以上、相手に従うことは当然であり、「郷に入りては郷に従え」ということである。
パブリックの例
パブリックな場所は、例えば、電車などの公共交通機関だろう。
そのような場所は、誰にとってもアクセス可能な場所であるべきであり、その権利が侵害されてはならないと考えられる。
ゆえに、障がい者への配慮も求められるのである。
飲食店はどっち?
では、二郎系は、あるいは、飲食店は、「お邪魔する」場所なのか?
すなわち、飲食店は、パブリックなのか、プライベートなのか?
おそらく、そのどちらでもある、というのが答えになるだろう。
つまり、はっきりと分けることはできない。
たとえば、田舎の常連客しかいないような居酒屋をパブリックと考えるのは無理がある。
駅ナカのカフェは、ほとんど駅という公共施設と一体化しているため、ほとんどパブリックであると考えられる。
このように、店によって、さまざまなのである。
右派・左派的思考
以上のように、二郎系、あるいは飲食店をパブリックかプライベートに分別するのは難しい。人によって考え方が違う。
ということは、そこに価値観があらわれるということでもある。
二郎系への批判に話を戻すと、
二郎系に対して、怒りを覚え、批判をする人は、二郎系の店から「排斥感」を覚えているということである。
それは、本来は開かれているはずの店から排除されているという感覚である。
つまり、飲食店とは、誰にでも開かれたパブリックな場所であるという意識が強く、左派と親和性があるだろう。
逆に、「それぞれ好きにしたらいい」、「行きたくないやつはいかなきゃいい」と思うなら、飲食店はそれぞれのルール・風習があるプライベートな場所に近いと考えており、右派と親和性があるだろう。
左派・右派については、いろいろな捉え方があるだろうが、
基本的には、
左派は、家族や地域といった小集団の排他性を嫌い、社会という開かれた公共性に、理念に基づいた個人の自由を求める。
右派は、小集団の伝統や団結を重んじ、普遍的な理念よりも、個々の独自性を重視する。
というような分類がされるだろう。
興味深いのは、ネットではおそらく右派的な言論の方が優勢なのにも関わらず、この二郎系のネットでの議論においては、左派的思考をする人が目立つということである。
これはどういうことなのか?今後も考えたい。

