祭りを見た。
夜、提灯と神輿の灯りに照らされて、祭囃子の音に合わせて、法被を着た老若男女が踊る。それを、浴衣姿の人々が眺めている。
そこには、なんともいえない風情があった。その風情とは、何なのか。祭りにはなぜ風情があるのかを考える。
祭りという舞台装置
考えるにあたって、祭りというものを一つの舞台として捉える。そして、それを成立させている装置=要素に分解することで、祭りの風情を考える。
夏の夜
祭りは、大抵、夏の夜にやる。この「夏」と「夜」が祭りという舞台には、重要な要素だ。
まず、「夏」。夏は、当たり前だが、暑い。
冬の寒いときは、周りの冷たい空気から身を守るために、厚着をし、身を縮こませる。このことは、周りの空気全体から、身を引き、自分の内側に篭ろうとしているとも捉えられる。ということは、ある意味、周りの空気を拒絶しているのである。
これに対して、暑い夏は、薄着をする。体温を外部に逃そうとする。身体を積極的に、外の空気に晒そうとする。これはつまり、外の世界に自分をさらけだそうとすることである。これが、夏に特有の開放感を生んでいる。
次に、「夜」。夜は暗い。暗さは人の視線を遮る。人からの視線がなくなると、人は開放感を覚える。理性によって抑圧されていた本性が滲み出すようになる。繁華街が夜に賑わうのも、こうした夜の作用によるのだろう。
夏の夜は、こうして人々を開放的にさせる舞台装置となる。
法被と浴衣
祭りといえば、法被(はっぴ)や浴衣といった衣装だろう。祭囃子にあわせて踊る人たちはみな、法被を着ている。それを見ている人たちは浴衣を着ている。
祭りでは、皆が同じ格好をしている。しかも、普段は着ないような服を着る。これが大事なことだ。
皆が同じ特別な格好をすることで、祭りを特別なものに仕立て、そこに参加する人たちに一体感を与える。それは、人と一緒になるということであり、普段の自分を忘れることでもある。
法被と浴衣は、こうして、人々に一体感を与え、自分を人と同じものにする。
祭囃子と踊り
祭りでは、祭囃子の音楽に合わせて、皆で踊る。これもまた、皆で同じことをしている。特に、皆で音楽に合わせて踊るということは、同じリズムを共有するということであり、一体感を高める行為だろう。
祭りと一体感
このように、祭りとは、さまざまな舞台装置によって、人々を日々の秩序から解放し、普段の自分とは別の自分になって、他の人々と一体になるというイベントであるといえる。
祭りと風情
祭りのこういった独特の雰囲気は、そのとき限りのものである。つまり、祭りとは、非日常なのだ。
この限られた非日常が、祭りに風情を感じさせるわけである。
限られているということは、終わりがあるということだ。そして、終わりがあることを知っているならば、そこには終わりへの予感が伴う。
楽しく賑やかな祭りであっても、どこかに終わりへの予感を含んでいることを、皆が知っている。楽しいなかにも、どこか物悲しさがある。この独特の雰囲気に、風情を感じるのではないかと思う。