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お金と利他的行動について

これまでの記事では、お金について、人の気持ちを配慮しない手段として考えてきた。

もちろんお金にはそういった側面があるのは確かだが、一方で、お金には、「推し活」に代表されるように、他者を応援するための手段としての側面もあるだろう。

今回は、このようなお金が持つ二つの側面について考える。

 

利己心の交換手段としてのお金

お金を利己心の交換の手段として考えたとき、利己心を最も効率的に満たすためには、

お金を払う側は、いかに安くやらせるか

お金をもらう側は、いかに高く払わせるか

ということを考えることになる。

これは、いかに相手の取り分・メリットを減らして、自分の利己心を最大化するかということである。

このような相手に対する態度は、相手を単なる道具としてしか扱っていないもので、非人間的なものであるといえる。一方的に自分が得をしようとして、相手を道具のように扱うような態度では、人間関係は築けないし、すでにある関係も壊すだろう。

したがって、お金=利己心の具現化した通貨であり、それを利己心を満たすために使うとき、そこには、人間的な関係は存在しないといっていい。

 

利他心の表れとしてのお金

一方で、お金を払うことは、誰かを応援することとしても捉えられている。

ファンベース的考えでは、お金を払うということは、相手に共感し、応援したいということを表す。つまり、相手のためになりたい。貢献したいという思いで、お金を払うのである。

たとえば、商品の購入はその商品・企業への賛同の一票であると言われるが、これはまさに、相手への応援として、お金を使っている。

このように、お金は相手への気持ち=利他心の表れにもなりうる。

そもそも利他心とは、利己心の犠牲として考えることができる。相手のために何かをすることは、自分の何かを犠牲にしている。それは、時間だったり、労力だったりするが、最もわかりやすいのが、利己心の具現化としてのお金である。

つまり、自分がどれだけお金を出せるかということは、どれだけ利己心を犠牲にできるか、ということである。あるいは、利己心よりも重要だと思うものに、人はお金を出すのである。

 

お金をどう使うか

お金は欲望を叶えるための道具で、利己心の具現化である。つまり、お金をどう使うかは、自分の利己心をどう使うかでもある。

利他心を、相手のために自己利益を犠牲にしてでも行動することだとすると、利他心とは、利己心の犠牲ということであり、つまり、利己心の具現化であるお金を犠牲にする=支払うことであるとも考えられる。

そう考えると、利己心をお金という譲渡可能な物質に具現化したことは、利己心を可視化し、譲渡という形で利他的な行動を取らせやすくしていると考えられる

例えば、募金は、その最たる例で、実際に何か行動をするよりも、お金を払うということは、ずっと労力が少なく、利他的な行動をしやすい。

 

お金の利他的使い方へのシフト

成熟した資本主義社会における物質的な飽和によって、自己の欲望を実現することへの動機が減少した先にあるのは、自己の欲望を他者に渡すという利他的な行動による精神的な満足なのかもしれない。

ゆえに、「推し活」とか「ファンベース」が登場するのは、時代の要請として必然なのかもしれない。