都会と田舎における、金が果たす人間関係への役割の違い

前回、前々回と、金と感情への配慮の問題を考えてきた。

結論としては、金を払うということは、ある程度、相手の感情を無視する権利を買うということである。そして、なぜそれをするかというと、人の共感や同情心に限界があるからだということを論じた。

人の同情心の限界とは、人が思いやれる人の数の限界である。つまり、友人・知り合いの数の限界といえる。

となると、必然的に、人が多い都会では、友人・知り合いの数に対して、他人の割合が増える。すると、日常的な人間関係は、他人をベースにしたものになる。

一方、田舎では、その逆で、日常的な人間関係が、知り合いをベースにしたものになる。

今回は、そのような都会と田舎の人間関係の違いを、金と感情への配慮の議論をベースに考える。

 

都会の人間関係

都会は、人が多い。すると、人との関係は、基本は他人同士になる。

隣に住んでいる人とも他人だし、店員とも他人である。こうして、他人をベースにした人間関係となる。というよりも、あまりにも他人が多くて、それらの人と人間関係があると思ってもいないだろう。

このような環境下では、他人に対して極めて無関心で、心理的な関係をもたずに、やり取りをするということに慣れる。

つまり、最も効率よく、金銭が互いの利己心を交換するのである。

このような、人間関係の介在しない利己心の交換は、欲望を効率よく満たすことに適している。なぜなら、金さえ払えば、相手と関係を持たず、純粋に欲望を満たすことのできるシステムだからだ。

ゆえに、創作における都会的な描写とは、「夜の街」なのである。

この都会的システムは、金を持った欲望の強い人間にとっては、最高のシステムである。世にいう成功者とは、このタイプの人間だ。

だが、金のない人間、あるいは、欲望の薄い人間にとっては、単に孤独になるだけである。

ここでいう欲望の強弱とは、おそらく、自分の欲望と他者との関係のどちらを強く望むかであり、欲望が強いとは、自分の欲望を他者との関係よりも優先するということである。

田舎の人間関係

田舎は人が少ない。つまり、友人・知人でカバーできる範囲が広い。

すれ違う誰かは、知人かもしれない。仮に、直接は知らなくても、知り合いの知り合いである可能性は十分にある。となると、大体の人間は、何かのきっかけで、知人になる可能性が高い。

つまり、田舎では、知り合いをベースにした人間関係になる。

知り合いベースだと、金銭的なやり取りに対しても、人間関係が入り込む。近況を話したり、噂話をしたりする。

このようなやり取りは、純粋な金銭による利己心の交換ではない。そこには、利他的な繋がりが入っている。

たとえば、知り合いに野菜を売るとして、売る側は知り合いなんだから、多少はサービス精神をもつだろう。買う側も、それにお礼を言い、また来ることになるだろう。

そうなると、それは、もはや、利己心の交換というよりは、金銭を介した人間関係であるといえる。

このような田舎のシステムは、人との繋がりを求める人にはいいだろう。だが、何をするにしても、人間関係がつきまとってくる鬱陶しさはあるだろう。田舎のコミュニティ特有の噂話は、その典型である。

 

違いまとめ

都会

メリット:

人間関係を介さず効率よく欲望を満たせる

デメリット:

欲望を実現する力がない、あるいは欲望がないなら、単に孤独なだけ

田舎

メリット:

人との繋がりがある

デメリット:

人間関係が自分の欲望を満たす際の邪魔になりうる

 

以上より、人によって、都会が向いている人、田舎が向いている人は、分かれる。

というよりも、人にはどっちの性質もあるのだろう。だから、うまくこの都会的性質と田舎的性質を融合させる、あるいは、二つの間でバランスをとることが必要なんだろうと思う。

 

疑問

都会で田舎的コミュニティを築けるか

逆に、田舎で都会的コミュニティを築けるか

ちょうどいいバランスはあるのか

都会と田舎でお金の性質の違い

応援的、人間関係に資するお金の使い方