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思考の種

日常生活で考えたことを「思考の種」としてエッセイ風に記述したものです。

後に、現代社会分析として、より発展的に展開されていきます。

  • 2025年11月19日
  • 2025年11月19日

飲食店などの接客態度の距離が近くなっているのはなぜか

おそらくここ数年、飲食店やホテルなどのサービス業の接客の距離が近くなっている。あるいは、接客態度が緩くなっていると思われる。 この記事では、接客が緩くなり、距離が近くなっている具体的な例を挙げ、そして、その原因や背景について分析していく。   接客が緩くなっている例 言葉遣い まず、言葉遣いが緩くなっている。 これは昔から指摘されていたことではあるが、かつては、言葉遣いの誤りはあっても、 […]

  • 2025年10月19日

「気にしなくていい」と思える特権の手に入れ方

生きていると何かしら気になることがある。 気になることを言われたり、相手に気になることがあったり、自分に対して気になることがあったりする。 そんな気になることを、誰かに相談すると、「気にしなくていい」と言われたりする。自分も誰かに言ったりする。 でも、「気にしなくていい」と思えるのは、結構、特権的なことなのかもしれない。   「気にしなくていい」と思えるということは、それが気にするまでも […]

  • 2025年10月11日
  • 2025年10月24日

「ネジが外れている」感情が欠如している人間が持ち上げられる理由と、問題点

アニメ『チェンソーマン』にて、このようなセリフがある。「まともなやつは死ぬ」、「頭のネジがぶっ飛んでるやつが生き残る」。主人公のデンジは、「ネジがぶっ飛んでいる」側の人間であり、他にも「ネジがぶっ飛んでいる」人間たちが活躍する。   『チェンソーマン』に限らず、「ネジが外れている」、「感情が欠如している」人間が、現実でもフィクションでも、持ち上げられる傾向にある。これはなぜなのか。 そも […]

  • 2025年10月8日
  • 2025年10月26日

高市氏の「ワークライフバランスを捨てる」発言への的外れな批判はなぜ起きるのか—読解力について考える—

先日、新しい自民党総裁に就任した高市早苗氏が、自民党議員の前での演説をした際の発言が、一部から批判を浴びた。 高市氏は、「全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます」「私自身も、ワークライフバランスという言葉を捨てます」という発言をした。[1] これに対して、「ワークライフバランスを捨てるとは何事か」、「人間は馬ではない」、というような趣旨の批判をする政治家やメディアがいた。 昨今 […]

  • 2025年10月3日
  • 2025年10月3日

動画よりも本が良い理由について—感情のフィルターとなる想像力—

最近では、さまざまな動画がネット上で見られる。だから、本を読まなくても知識を得られる、と主張する人は多い。 だが、動画には特有のデメリットがある。それは、動画には、口調や喋り方、表情に感情がのることである。 これは、動画ならではのメリットでもあるが、デメリットでもあるのだ。   動画のデメリット ①感情の伝染 まず、動画では、視聴者に対して、出演者の感情が直に伝わる。それは、動画には、そ […]

  • 2025年9月30日

努力を最小限にし、最適化させる「戦略」について

目的を達成するためには、努力をして自分の実力を向上させる必要がある。 それと同じように重要なのが、努力を最適化し、最小限化する戦略である。   努力と実力向上 何らかの目的を達成するには、その目的を達成するために必要な実力を得る必要がある。そのためには、努力が必要である。 試験に受かるためには勉強する必要があるし、スポーツの大会で勝つには練習する必要がある。   相対的な実力と […]

  • 2025年9月28日

なぜ若者は「尖る」のか—若者の他者否定と自己否定について—

若者は尖りがちだと言われる。 そもそも、「尖る」とは何のか、なぜ若者は尖るのか、そして、どのように尖ること、他者を否定することで、成長・成熟するのか、について論じる。   尖るとは何か まず、尖るとは何か。それをざっくり言語化する。尖るとは、概ね、安易に大衆に迎合しない姿勢であり、突き詰めると、他者を否定しがちな精神であるといえるだろう。 「尖る」のイメージとして、「俺は他の奴らとは違う […]

  • 2025年9月27日
  • 2025年10月26日

イチローの「叱ることすら難しい今の世の中、自分で反省や努力できない人が更に生きづらくなり差が広がる」という発言について分析する

元野球選手のイチローが、「叱ることすら難しい今の世の中、自分で反省や努力できない人が更に生きづらくなり差が広がる」といった発言をした。[1] この発言の趣旨は、昔であれば、監督的立場の人が、叱ってくれたから、自分で自分を律することができなくても、強制的に努力することができた。だが、今は叱ってくれる人がいないので、自分で自分を律して、努力しなければいけない。そうなると、それができる人とできない人で差 […]

  • 2025年9月26日
  • 2025年10月26日

芸人はなぜ素人を見下すかを分析する—実力とステータスの違い—

最近、芸人のチョコレートプラネット・松尾駿が、「素人はSNSをやるな」と発言し、炎上した。[1] 発言の真意はともかく、この発言をだけを切り取ると、あたかも芸能人が一般人を見下しているかのようにとれる発言だろう。 しかし、そもそも、今回の件に限らず、過去、多くの芸人が、「素人」を見下したような発言をしており、この一件だけが特別なわけではない。 では、そもそも、なぜ芸人は「素人」を見下すのか?につい […]

  • 2025年9月25日
  • 2025年9月25日

嫌な人との関係を成長のための道具とすることについて

人間、居心地のいいところにいては、成長しない。居心地の悪いところで挑戦してこそ、成長する。 このようなことを言う人は多い。確かに、その通りなところもあるだろう。 この言葉における居心地の悪さとは、主にハードな環境、特に要求の高い環境を指しているのだろうが、これは、人間関係についても当てはまると思う。つまり、嫌な人との関係が、自分を成長させることもあるのではないか、と思う。 そこで、自分にとって嫌な […]