コンディションの対概念として「フレーム」という言葉を作ってみた

コンディションという言葉がある。この言葉は便利で、よく使われる。だが、コンディションが良い悪いというならば、そのコンディションのもととなっている本来の実力のようなものがあるはずだ。だが、その言葉は、多分存在していないし、あまり考えられてもいない。

この記事では、コンディションと、その対になる概念について考えたい。

 

コンディションとは何か

そもそもコンディションとは、「今日は身体のコンディションがいい」といったように、短期間・一時的な状態・実力を意味する。そして、「今日は」というように、変化するものでもある。

つまり、コンディションとは、一時的かつ、可変的な状態のことを指す。

 

コンディションの対概念としてのフレーム

これに対して、コンディションの対となる概念、すなわち対概念が存在するはずだ。

「今日はコンディションがいい」というとき、それは、何かと比べて、良いと言っている。それは、昨日のコンディションと比べている場合もあるだろうが、普通は、本来の実力、つまり、基準となる状態と比べている。そして、その基準の状態から想定されるパフォーマンスの範囲から、良し悪しを言っている。

その基準の状態は、ある程度、長期的に変化しないような状態である。仮に、一週間連続でコンディションがいいのであれば、それはもう「コンディション」がいいのではなく、「基準となる状態」が良いのか、まだそれが定まっていないのである。(初心者が成長する過程など)

この「基準となる状態の範囲」がコンディションの対概念なのだが、これを指す一般的な言葉がない。そのため、それを表す言葉を「フレーム」と名づけることにしたいと思う。

 

フレームとコンディション

英語の「フレーム」とは、枠組みや骨格といった意味である。

コンディションが可変的な状態を意味するのであれば、その状態の振れ幅を決め、そこに収まるような枠のようなイメージとして、「フレーム」という言葉を選んだ。

このフレームは、コンディションの対概念であるため、コンディションという言葉の使い方によって、意味合いが変わる。たとえば、あまり努力していない人が使うコンディションの場合、フレームは成長の余地がある。だが、プロのスポーツ選手のように、すでに相当な練習をしていて、成長の上限に近い人が使う場合、フレームはほとんど不変なものになる。

だが、それらに共通するのは、コンディションのように短期的に変わることはないということである。

たとえば、しっかり寝たときと、徹夜したときでは、コンディションは全く違う。だが、一晩寝なかっただけで、その人本体が全く変わってしまうわけではない。このように、フレームは、不変なのである。

 

コンディションの重要性

コンディションは、一時的なもので、本質的じゃないと考えられがちだ。実際、コンディションは、フレームの範囲内でしか変動しない。だから、コンディションを整えることは大事だが、本質的にはフレームが大事だと考えられがちである。

だが、今自分ができることは、目の前のコンディションを整えることだけである。そして、コンディションを常に整えることが、長期的にはフレームを作ることになる。

筋トレを継続すれば、徐々に身体自体が変わる。頭をシャープに保ち続ければ、頭の回転も向上していく。それと同じで、短期的なコンディションを上げることが、フレームという本体そのものを変えることになる。

川が、流れ続けることによって、河岸を削り、川の流れを変えるように、コンディションという一時的で、可変的なものをより良いものにする努力で、フレームという本体自体、つまりは自分自体を変えることにもつながるだろう。