アイドルと宗教の類似性について—神聖さ・尊さを考察する—

アイドルと宗教は似ていると言われる。アイドルの熱心なファンのことを信者というのも、両者が似ているからだろう。

この記事では、アイドルと宗教に共通する点を分析し、人間の想像力が物理的なモノを超えた世界観を生む原理について論じる。

 

アイドルと宗教の類似性

アイドルと宗教がどういった点で似ているのかについて考えるために、アイドルとは何か、宗教とは何かを考え、両者の共通点を探る。

アイドルとは何か

アイドルの特徴について考える。

第一に、アイドルは基本的に、ステージに立ち、パフォーマンスをする。その内容は、歌や踊りであることが多い。それを、派手な衣装やメイクによって行う。

第二に、歌の内容や踊り、あるいはファンサービスを含めた振る舞いは、自分の可愛さや格好良さを非常に強調したものであり、日常生活での振る舞いとはかけ離れている。

第三に、アイドルを、観客席からファンは観ており、場合によっては熱狂的に応援する。

これがアイドルの3つの特徴である。

宗教とは何か

宗教の特徴について考える。

第一に、宗教は祭典、儀式を行う。それは、宗教の指導者によって行われる。

第二に、宗教は荘厳さ、神聖さを大事にする。そのため、儀式や祈りの際には、真剣な雰囲気になる。そして、それを作り出すだめのある種の演出がなされる。仏教であれば木魚や鐘、キリスト教であればオルガンなどの音楽的な演出や、儀式に用いられる宗教的な道具や衣装もその一部であるといえる。

第三に、宗教の信者は、宗教的儀式に参加し、その儀式が求める雰囲気に従う。荘厳な儀式であれば厳粛に、熱狂的な儀式であれば熱狂的にする。

類似点は何か

上記では、第一から第三まで、意図的に両者の類似点が比較できるように並べた。

両者の類似性を端的にまとめると、

 

・主催者(アイドル・指導者)と参加者の少数対多数の関係

・日常とは明確に異なる雰囲気

・雰囲気を演出する多数の演出

・参加者の没入と参加者同士の一体感

 

こういったことが挙げられるだろう。

おそらく、両者が核とする感情は異なる。アイドルの方は異性間の恋愛を模した感情であり、宗教の方は人間を超えた神聖な感情であろう。

だが、両者がこうした感情を掻き立て、増幅し、集団に伝播させる構造には、上に挙げたような類似点があるといえる。

 

類似点の本質

こうした類似性の本質は何なのか。それは、いくつかあるだろう。

実体がない

まず、両者の共通点として挙げるべきなのは、実体がないという点だろう。

ここでいう実体とは、ファンや信者が、推したり崇拝したりする対象が、物理的には存在しないということである。

宗教の場合は、信仰の対象が物理的に存在しないことに異論はないだろう。それと同様に、アイドルの場合も、その対象は物理的には存在しないといえる。

確かに、アイドル本人は存在する。だが、アイドルの本質とは、アイドル本人に存在するのではない。アイドル本人は、いわば、アイドルを演じている役者であり、アイドル自体は、さまざまな演出の総体であるといえる。

想像の結晶

では、信仰や推しの対象はどこに存在するのか。それは、その対象を信じている人々の想像のなかである。物理的な実体として存在するわけではない。

宗教の場合、たとえば仏像などの像がそのまま信仰の対象ではないことは明らかだろう。仏像に手を合わせる行為は、確かに仏像そのものにも偉大さや厳粛さ、その歴史を感じ、尊敬の念を覚えるかもしれないが、本質的には仏像が表す仏に対して祈りを行う。この点において、仏像とは、実体のない信仰対象へ祈りを捧げるための媒体であり、人間の想像力を補助するためのものであるといえる。

アイドルも同じである。アイドルの場合は、アイドル本人と、そのアイドルが表している像が一体として考えられがちだが、実際にはアイドル的演出が施されている対象がアイドル本人であるのであり、本人自体がアイドルそのものなのではない。

事実、アイドル本人は、アイドルとして振る舞わなければならず、アイドルらしからぬ行為を行えば、アイドルとしての資格を失う。つまり、「アイドル像」がアイドル本人よりも優位なのであり、そうである以上、アイドル本人は、「アイドル像」を反映させる媒体であるとさえ言えるだろう。

このように、両者は、実体をもっている部分はその本質ではなく、本質は実体を伴わず、信者やファンの想像のなかにある。いわば、想像の結晶である。

もっとも、想像のなかにあると考えるのは、観察者の視点においてであり、信者やファンは、それが実在すると考えているだろう。

 

想像の優位

このように、両者は、実体を超えて、想像が人々に共有され、それが存在すると信じられるようになっているという点で共通している。つまり、集合的な想像が実在していると考えられるようになっているということだ。

このように、実在すると「考えられている」ということは、それが実在するかのように現実に影響を与えているということだ。

こういった想像が実在として扱われているという現象は、アイドルや宗教に限らず、ブランド品の価値づけの根拠にもなっているだろう。近年では、モノの消費からコトの消費への転換が唱えられており、物語を消費するようになっているという分析がなされているが、それも想像の実在化の一例だろう。

 

実体の透明化

こうした想像の実在化は、アイドルの例のように、実体を飛び越えて、理想像を作り出す。このとき、その理想像に対する想像が、強くはっきりとしており、それが集団に共有されているほど、理想像が実体から遊離し、実体は透明化する。

この実体の透明化が進むと、宗教のように、物理的実体を完全に超越した想像を実在化するようになる。

つまり、演出によって強化された想像力は、それが実在しているとされるほど強く信じられるようになる。その結果、想像力は、本来そこから生じていたであろう物理的実体を完全に飛び越え、物理的な実体が透明化してしまうということが生じるのである。

 

神聖さとは何か

こうして完全に物理的実体が消滅した後、そこには純粋な想像が実在化したもの残る。これは、物理的なモノであることを超越しており、モノであるがゆえの世俗性・卑近さ・不完全さを克服している。

こうして誕生する観念が神聖さであると考えられる。この神聖さが、物理的なモノの世界の上に覆い被さっており、それが価値的な世界を生み出しているのだと思われる。