ジャッジメンタル(judgmental)という概念について

judgmental (ジャッジメンタル)という英語がある。これを日本語に訳すと、「過度に批判的な見解を持つ、または示すこと」という意味で、おそらく、主に、人に対して使われる単語だろう。

この英単語を知ったのは、この動画[1]を見たときだ。

 

 

この動画では、次のような教訓・格言が語られている。

もしあなたが誰かの家に招かれて、その家の汚れが目についたならば、あなたは二度とそこに行くべきではない。

なぜなら、汚れているのは、家ではなく、あなたの心だからだ。

これは、見事な教訓だろう。小話としても裏切りや上手い言い回しがあって面白い。

これに対して、動画の女性は、

あなたに心を許し、家に招いてくれている人に対して、あなたが、まず最初に汚れに目が行くなら、あなたはジャッジメンタルな人であり、友達に値しない。

なぜなら、真の友情は、お互いの心の繋がりだからだ

と言う。

この文脈からするに、ジャッジメンタルとは、「何でも否定したがる人」、「まず批判から始まる人」という意味合いなのだろう。こういう表現は、日本語の会話においてもよくするから、日本語にも一語で表せる言葉があったらいいのに、と思う。

和訳するならば、「批判的な」になるだろうが、ニュアンスが全く異なる。「否定」という言葉は入れたほうがニュアンスが伝わるだろう。「否定先行」とかがいいだろうか。やや堅い気もするが。もう少し砕けた表現の方が会話では使いやすいだろう。

ともかく、そういって否定先行的な人は、どの国でも嫌われるということがわかった。もっとも、自分を否定する人を好きな人はいないし、逆を言えば、自分を受け入れてくれる人を人は好きになる。要するに寛容さが大事なのだろう。

 

[1]これは切り抜きのようだ。元動画は、More is Never Enoughというポッドキャストらしい。