「ネジが外れている」感情が欠如している人間が持ち上げられる理由と、問題点

アニメ『チェンソーマン』にて、このようなセリフがある。「まともなやつは死ぬ」、「頭のネジがぶっ飛んでるやつが生き残る」。主人公のデンジは、「ネジがぶっ飛んでいる」側の人間であり、他にも「ネジがぶっ飛んでいる」人間たちが活躍する。

 

『チェンソーマン』に限らず、「ネジが外れている」、「感情が欠如している」人間が、現実でもフィクションでも、持ち上げられる傾向にある。これはなぜなのか。

そもそも、頭のネジが外れているとは何なのか?

なぜ頭のネジが外れていることが、持ち上げられるのか?

ネジが外れていることの問題点とは何か?

こうしたことを考える。

 

頭のネジが外れている人間とは?

頭のネジが外れている人間とは何か?

それは、「普通の人間」にはあるはずの「ブレーキ」が欠如しているため、行動に躊躇や制限がなく、過剰なことができる人だ。

ここでいう「ブレーキ」とは、主に感情である。あるいは、集中力、没入力、自己防衛のために備わっている能力のリミッター的なものの場合もある。これらが欠如しているため、人が躊躇することを、平気でできる。

感情が欠如している場合は、「人の目を気にする」や「相手の気持ちを考える」といったことがないため、人よりも踏み込んで目的追求ができる。リミッター的なものが欠如している場合、普通の人ではありえないような努力ができる。

その結果、目的の達成をしやすくなり、社会的成功を収めやすいのである。これが、頭のネジが外れている人間の特徴である。

 

なぜ頭のネジが外れている人間が持ち上げられるのか?

上のように、頭のネジが外れた人間は、目的を達成し、社会的成功を収めやすい。成功者を人は持ち上げる。これは、ある意味当然だ。

また、加えて、彼らが成功のためにしたことについて、本心からそれを「苦だと思っていない」ことも、彼らを持ち上げる原因になっている。

彼らは、他の「普通の人」から見たら、異常な努力をしている。だからこそ、成功できるのだが、彼らはそれを何とも思っていないし、当然だと思っている。それは、彼らには、「ブレーキ」が欠如しているからだ。

例えば、辛いものに強い人が、常人には到底食べられない辛さのものを平然と食べることができるように、ネジの外れた人間は、目的達成のための努力を平然とできるのである。

このように、彼らは、自然と、当たり前のように、異常な努力をして、成功しているようにみえる。

そして、その自然かつ超人的な様子に、人はカリスマ性を感じる。彼らは、ある種の天才といえるからだ。

ゆえに、人は彼らに魅力を感じ、持ち上げたくなる。具体的には、自分の尊敬する人物として参考にしたり、あるいは、自分たちのリーダーにしたくなるのである。

 

頭のネジの外れた人の問題点

だが、彼らには問題点がある。

精神的鍛錬をしていない

彼らは、精神的に強い。それは、他人の批判を恐れないメンタルであったり、非常に合理的に目的達成のための行動ができることであったりする。

だが、その強さは、欠如によって生まれている。つまり、彼らは欠けているから、強いのである。そして、その欠如は、何か努力して身につけたものではない。元々、欠如していたのであり、いわば、生まれつき強かったのだ。

生まれつき強いということは、自分の弱さを、努力によって克服したことがないのである。すなわち、彼らは、自らの精神を鍛えたことがないということだ。

実際、彼らは飄々としていて、あっさりとしている。何か歴戦の猛者のような雰囲気があるわけではなく、自然体である。それが、どこか人とは違う異常性を感じさせ、持ち上げたくなる理由でもあるのだが、それは、彼らが精神的に鍛える必要がなく、それゆえに、人としての風格や威厳を身につけてこなかったからなのである。

弱さを理解できない

そして、彼らは、そもそも、弱さが何か理解できない。

そのため、他人が、何で苦労しているかわからない。彼らは、「普通にやればいいだけじゃん」と思ってしまう。

つまり、彼らは、普通の人の弱さや苦労がわからない。そのため、他人と心理的に連帯することができない。他人をわかってあげることが、本質的にはできない。

ゆえに、彼らは、孤独にならざるをえないのである。

実際、何か欠けたところのある成功者や天才は、フィクションの世界でも、現実でも、憧れられることはあるが、人から嫌われることも多いし、本質的に孤独であるのだ。

 

真に持ち上げるべき存在

もともと何かが欠如している人間は、言ってしまえば、普通の人間ではない。少なくとも、普通の人間がなろうとしてもなれる存在ではない。生まれつきの天才が、教師として向いていないように、彼らから何かを教わろうとしても、あまりうまくいかないだろう。

であれば、苦労して、努力した人、そしてその結果、能力を手に入れた人の方が、持ち上げるべきだし、参考にするべきだろう。

なぜなら、そういった人は、欠如があったから自然に努力をしたのではなく、苦労して努力をすることで、精神を鍛えてきた人だからである。

また、そのような人は、人の苦労を理解できる。普通の人の弱さを身をもって知っている。そのため、人に感情面で寄り添える。ゆえに、こういった人こそ、リーダーとして、人を導くのに適しているのである。

 

まとめ

ネジのぶっ飛んだ人間は、普通の人間ではない。普通の人は、そんな普通でないところに惹かれるのかもしれない。ゆえに、とくにフィクションでは好まれる。

だが、普通の人間は普通の人間を持ち上げ、参考にし、リーダーにすべきだろう。