MBTI診断が有益なステレオタイプである理由

ステレオタイプという言葉がある。

意味は、「国籍や人種などの特定の属性と結びついている先入観」といったようなニュアンスだ。このステレオタイプは、「アジア人だから数学が得意でしょ?」のように、偏見や差別の温床として捉えられている。

その理由は、なぜか?日本人だからといって必ずアニメを見ているわけではないように、ある属性をもつ人にも、色々な人がいる。
その人を個性ではなく、ステレオタイプで扱うことは、多様性を無視し、個人を無視していることになる、という理屈だ。

だが、その理屈で言うと、血液型診断やMBTI診断は、わざわざ人に属性を付与し、ステレオタイプを作り出しているといえる。これは、つまり、偏見や差別を意図的に作り出していると言えかねない。実際、「A型だから几帳面でしょ」、「INTJだから独創的だね」という言い方は、ステレオタイプっぽい。

でも、人々は基本、これを偏見や差別とは言わない。むしろ、喜んでお互いを診断している。これは、なぜか?

その決定的な理由は、遊びだと分かっているからである。これらの診断は、当たっていることもあるし、外れていることもあることを分かった上で、遊びとしてやっているのだ。遊びだからこそ、その属性を決めつけているわけじゃない。「確かに〜」とか、「そうかな?」と言いながら楽しんでいるのだ。

つまり、MBTI診断や血液型診断は、あくまで遊びであり、そこに囚われることはないのだ。むしろ、その診断との一致点や相違点をお互いに話して、その人をより理解するためのツールでもある。

こう考えると、これらの診断は、あくまで叩き台である。それをもとに、色々お互いのことを知っていけるツールであり、拡張性がある。つまり、ステレオタイプというよりプロトタイプといえるだろう。

一方、差別の場合、そのステレオタイプに囚われていて、拡張しない。そのタイプ内にその人を押し込める。その人=その属性というように固定化するのである。この拡張性の有無が、有益なステレオタイプと、差別的なステレオタイプを分けるのだろう。

MBTI診断や血液型診断は、ある意味、そのテキトウさをみんなが理解しているがゆえに、有益なのだといえる。