「老害」という言葉が最近よく使われる。老害とは、高齢者に典型的にみられる類の人間で、主に若者相手に迷惑をかける人やその性質を意味する。
その老害の特徴の一つとして、自分のことを長々語る「自分語り」がある。
この記事では、なぜ老害化すると自分語りをするようになるのか、その原因を考える。
自制心の低下
そもそも年齢に関係なく、自分のことを語りたいという欲求は一般的である。それは、話しを聞いてもらいたいという人が多いことからわかる。
通常、人はこの欲求をもってはいるものの、自分の話ばかりするわけではない。その欲求を制御しているのである。なぜなら、自分の話ばかりしていては、不快感を与えるからだ。実際、自分ばかりしゃべるような人間と仲良くなりたくはないだろう。
だが、老害化すると自分語りが増える。それはなぜか。
事実として、高齢になると、脳機能が低下する。その結果として、欲求を抑え、場に合わせた振る舞いをする能力が低下すると考えられる。実際、精神的に未発達な子供は、自分を抑えて、場に合わせることはできない。同様に、脳機能が低下すれば、そういった能力も低下するということが十分に考えられる。
これが、老害化すると自分語りをするようになる第一の原因である。
立場が上になる
日本では、年齢が上の人間を敬う文化が根強い。それはつまり、高齢者であると自動的に敬われ、立場が上になるということである。
立場が上であれば、立場が下の人間に対して、優位に振る舞える。つまり、ある程度自由に振る舞うことができ、そこまで気を遣う必要はない。
その結果として、老害化すると、立場が下であることが多い若い人に対して、欲求を抑えることなく、自分の話をすることになる。
これが、第二の原因である。
他人を気にしなくなる
一般に、年齢を重ねるほど、他人を気にしなくなる。
この原因は複数存在するだろう。
人格形成の完成
思春期に他人の目を気にする原因は、「自分自身が何者であるか」という人格形成ができておらず、他人からの評価によって、自己の認識や評価が左右されてしまうことにあると考えられる。
年齢を重ねると、自己についてより確固たる認識をもつようになり、他人からの評価や認識を気にしなくてもよくなる。
他人からの関心の低下
他人から見られていると感じると、他人からの視線を意識し、他人を気にして振る舞うようになる。たとえば、人から見られることの多い芸能人は街中を歩くときでも、誰かに見られているのではないかと意識するだろう。そして、それなりの振る舞いをするだろう。
反対に、他人から関心をもたれないと、他人のことを気にする必要がなくなる。
一般に、年齢を重ねると、若い時と比べ、異性からの関心は低下する。おそらく、同性からの関心も低下するだろう。その結果、全体的に他人からの関心が低下し、それに伴い、他人への関心も低下する。
こうした原因や、上記した脳機能の低下や立場が複合して、高齢化すると他人を気にしなくなる傾向が高まる。
その結果、相手のことを考慮せずに自分の話をすることになる。
これが、第三の原因である。
自分について以外話すことがない
高齢になると、会話において話す内容が限定される。
まず、高齢になると、リタイアしている場合が多い。すると、仕事に関する話題や、仕事に付随する社会情勢や、人間関係の話題がなくなる。
次に、高齢者に限らず、年をとると、流行に疎くなる傾向がある。これが必ずしも悪いわけではないが、疎くなる原因が、好奇心の低下や、活発なコミュニケーションの減少にあるのだとすれば、問題である。
また、年を重ねると、当然自分の人生全体において、未来の割合よりも過去の割合の方が多くなる。となれば、自分の過去の話が話題の中心を占めることも不思議ではない。
このように、高齢化によって社会との関係が減り、自分以外のものに対する興味が減り、自分の過去についてしか話すことがなくなるということが生じるのである。
これが、第四の原因である。
解決策
この問題の解決策は、上記した原因一つ一つを解決することだろう。
脳機能の低下による自制心の低下については致し方ない場合があるが、それ以外の原因に関しては、解決していくことができるだろう。
たとえば、年齢に関係なく謙虚でいようと心構えをしたり、何かしらの社会的な活動に従事することで、周りとのコミュニケーションを保ち、見られているという意識をもつようにし、会話の内容を作ったりすることはできるだろう。
また、そういった自分語りのような老害化した行為を注意する環境も必要だろう。仮に、若者が同じ行為をした場合に許されないのであれば、同様に高齢者も許されるべきではないことは、当然のことだからである。