「やっぱり音楽は昔の方がよかった」とか「アニメはあの頃が一番面白かった」といったことをよく聞く。このような昔を持ち上げる人があまりに多いせいか、「思い出補正」とか、「懐古厨」とかいった言葉があるほどである。
そこで、そもそも「思い出補正」や「懐古厨」とは一体何なのか、どうしてそうなるのか、この記事で考えてみる。
評価の仕組み
「思い出補正」や「懐古厨」は、昔を美化している。つまり、昔のことを、普通以上に評価しているということだ。それがなぜなのかを考えるためには、まず「普通の評価」について考える必要がある。
普通の評価とは何か。
たとえば、ご飯を食べたとする。それが美味しかったとする。そうしたら、そのご飯を美味しいと評価する。これが普通の評価である。つまり、評価する対象を、素直にそのまま評価することが普通の評価である。
この普通の評価は、一見すると当たり前で、全ての評価が普通の評価であるように思われるかもしれないが、そうではない。評価する対象を評価する過程には、それを評価する人のさまざまな思いが混入することも多い。
たとえば、自分で作った料理は格別に美味しいと感じることがあるだろう。あるいは、実際は味がよくわからなかったが、美味しいとされている店だから美味しいと評価してしまうことがあるだろう。また、周りから頭がいいと思われたくて、ちょっと難しめの本を「面白い」と評価することもよくある。こういったことについて詳しくは、この記事で論じている。
このように、評価には、美味しいものを美味しいとダイレクトに評価するような「普通の評価」以外にも、評価する人間の都合が入り込む評価があるのである。
思い出の評価
「懐古厨」が「思い出補正」によって過去を美化するのは、まさに評価する人間の都合による評価である。
なぜなら、通常の評価が対象を直接評価するのに対し、懐古厨は対象を自分の思い出と結びつけて評価するからである。つまり、懐古厨は、対象を評価しているというよりも、対象と関わった自らの過去全体を評価しているといえるのである。
したがって、懐古厨は、評価対象ではなく、思い出を評価しているため、評価対象をすり替えているのである。
思い出補正されるのはなぜか
以上のように、評価には、純粋な対象の評価と、評価者の主観に影響された評価がある。
そして、懐古厨や思い出補正は、評価者の主観に影響された評価であり、評価する対象が、評価対象を含めた過去の思い出とすり替わってしまっているのである。
では、そのような過去の思い出は「補正」され、美化されるのか。その原因を考える。
①感覚が鋭敏だったから
一般的に若いころの方が感覚が鋭いと言われる。アニメやゲームなどの作品に対しても、小さい頃の方がワクワクするのは確かだろう。
未知のものに対してワクワクするのであれば、未知のものだらけの小さい頃の方が様々なものにワクワクするのは当然だ。そういった若い頃の感覚が記憶として残っていて、その感覚の記憶で対象を評価することで思い出補正がかかることになる。
たとえば、同じシリーズ作品を評価するときに、昔の作品は昔のワクワクした記憶で評価して、今の作品を今の感覚で評価するならば、それは公平な評価とは言えない。懐古厨であると言われてもしかたないだろう。
②良い記憶しか残っていないから
小さい頃の方がワクワクしやすく、作品に対しても高評価をしやすいのは確かだろう。
だがそれと同時に、そもそも面白かった作品の方が記憶に残りやすいということも事実だろう。つまり、記憶に残っている時点で、それに対して、良い印象を持ったということであり、高評価をしたということだろう。要するに、肯定的な記憶のある作品以外は、記憶から淘汰されているのである。
ゆえに、記憶に残っている作品や対象を振り返って評価する時点で、そもそも自分にとって良かった作品のみを振り返ることになり、必然的に懐古厨となってしまうとも考えられる。
③過去を肯定したいから
懐古厨は、「あの頃は良かった」とよく言うに、過去全体を肯定的に評価する傾向にある。この場合、評価する対象とは関係なく、ただ過去そのものを肯定的に評価したいという意図があると考えられる。つまり、上二つの原因とは異なり、作品の評価がメインなのではなく、作品の評価を通して過去を肯定することがメインなのであり、作品の評価はそのための手段にすぎないのである。
では、なぜ過去を肯定したいのか。
ここでは本題から外れるため、軽く触れるに止めるが、
①自分自身の肯定
②現実逃避
が考えられる。
①は、過去や記憶は自分自身といってもよく、これを肯定することは、自分を肯定することにつながる。
②は、過去を肯定することで、現在の肯定できない現実から逃避することにつながるだろう。昔の自慢をする人は、現在自慢できるものがないということが多い。
まとめ
何かを純粋に主観的な偏りなしに評価することは、難しい。というより不可能であろう。評価にはどうしても評価者の個人的な背景が混入することになる。その一例としてよくあるのが、「思い出補正」であり「懐古厨」なのである。
しかし、そういった傾向があると自覚することは、誰にとっても重要だろう。いつまでも昔の作品にしがみついていることは不毛であるからだ。
それと同時に、自分の過去を肯定したいがために、過去の作品を肯定するというやり方はやめた方がいいだろう。こういった素直に自らの意図を表現せずに、迂回してそれを表現することは、自分の意図・気持ちを誤魔化すことであり、自分の本心に向き合うことを妨げているからである。