「老害」という言葉は、単なる高齢者蔑視の言葉に変わろうとしているのか

「老害」という言葉がある。

この言葉の賛否は分かれるが、元来は、社会的にポジティブな要素も含んだ言葉である。

だが、徐々に言葉の意味が変化することで、老害という言葉がネガティブな意味しかもたないようになってしまうのではないか。このことについて考える。

 

従来のポジティブな「老害」という言葉の使われ方

元来の「老害」という言葉は、そもそもどういう概念なのか。

老害という概念があてはまる対象は、単なる高齢者ではない。

高齢者にありがちな高圧的な姿勢によって、社会に迷惑をかける存在、特に、若者に迷惑をかける存在のことである。

たとえば、

  • いつまでもポストにしがみつき、権力に固執する人
  • 自分の時代の正しさを今の世代に強要する人

このような高齢者を老害と呼ぶ。

そして、実際、こういった人々は、社会や他人に害をなす存在である。

そのため、彼らに「老害」という呼称を与えることで、そういった人々の存在を言語化し、批判することで、「自分は老害ではないか」と考える自己反省を促し、社会を良くするというポジティブな効果がありうるのである。

 

老害化する理由

では、そもそもなぜ、高齢者は、老害という言葉が誕生するほどに、こういった迷惑をかけがちなのか。

それは、高齢者の地位が社会的に高いからである。

第一に、高齢者は、「目上の人間」として社会的に扱われる。つまり、高齢であるだけで、立場が上であるとされる。

第二に、高齢になれば当然、さまざまな積み重ねがある。会社で言えば、勤続年数が増え、年功序列であれば、役職も上になるだろう。所有する資産も多いはずである。これらの役職や資産は権力に直結する。

このように、社会構造的に、高齢者に地位は高くなりがちであり、対照的に、若者は地位が低くなりがちである。

一般的に、人は、地位の高い人間として扱われると、傲慢になる。そして、自分より地位の低い人間に横柄になる。

つまり、地位の高い高齢者が傲慢になり、地位の低い若者に横柄な態度をとるということは、いわば普通のことなのである。

 

社会変化による高齢者の地位の低下

だが、急激な社会構造の変化、そして価値観の変化を背景に、高齢者の地位が徐々に低下してきていると思われる。

その原因として、少子高齢化が問題視され、高齢者の社会負担が取り沙汰されることがまず挙げられるだろう。このことによって、人々に高齢者=負担という意識を植え付けた。

また、現在の社会が、若さをもてはやす社会であることも挙げられる。その原因について、ここでは詳しく論じないが、おそらく、反知性主義が関係していると思われる。その結果として、見た目や肉体にのみ価値を見出すルッキズムのような価値観が広まっているのだろう。そうなると、社会的に高齢者には、価値を見出しにくくなる。

こうしたいくつかの原因によって、年をとっていることが、尊敬される理由にならなくなる。そして、それは高齢者の社会的立場・権力の低下につながる。

 

「老害」という意味の変化

以上より、高齢者がもはや、社会的に高い地位であるとみなされなくなると、高齢者は、地位の高さを原因とした害を、他人に与えられなくなる。

老害とは、高齢者の地位の高さを背景とした概念であった。そうなると、老害という言葉自体がもはや機能しなくなり、役目を終え消滅するかもしれない。

高齢者の地位の低下は問題かもしれないが、老害という概念が消えること自体は問題ない。それどころか、むしろ、望ましいとさえいえる。

だが、問題は、「本当に老害という言葉は消滅するのか」である。一度これほどまでに根付いた言葉が、そう簡単に消滅するだろうか。

もし仮に、老害という言葉が消滅しなかったとしたら、どうなるのか。すでに、高齢者の地位が低下し、老害という概念自体は成立しないのにも関わらず、その言葉だけ残り続けたとするならば、それは何を意味するか。

それは、老害という言葉の意味が、望ましくない方向に、徐々に変化することを意味するだろう。

 

高齢者蔑視と「自称老害」がもたらす問題

現時点でも、若年層の貧困化と社会負担増によって、世代間対立がくすぶっている状態だ。

そのなかで、高齢者の地位の低下によって、老害の意味が変化するとしたら、その変化の中身は容易に推測できる。

それは、老害という言葉が、「高齢であることそのものを害であるとする」という意味への変化である。

たとえば、高齢者は医療費がかかる=社会にとっての害であるという考えは、わかりやすい考え方だ。これは、現時点でもくすぶりつづけている問題であり、そこに老害という言葉が組み合わさると、この対立、そして、高齢者蔑視が加速するおそれがある。これは言うまでもなく問題である。

だが、私がより深刻だと思うのは、社会全体に、高齢化すること=年をとることそのものを、害であると捉える雰囲気が充満することだ。これは、高齢者蔑視ではあるのだが、誰か自分とは別の高齢者を蔑視するのではなく、自分自身を蔑視し、自らを老害であるとみなしてしまうおそれがあるのだ。

そうなると、人々が、自分が年をとるということそのものを非常にネガティブに捉えるようになってしまい、それは、人々から活力を奪ってしまうように思われる。

 

まとめ

老害という言葉には、その語感や印象の悪さから批判が付き纏ってきたが、本来は、老いた人間が犯しがちな過ちを指摘し、社会を改善する可能性をもつポジティブな要素のある言葉だった。

だが、近い将来、あるいはもうすでに、この言葉の意味が徐々にスライドするように変化していき、老いることそのものを害とする意味になっていった場合、これほどまでに世の中に浸透し、かつインパクトをもつ言葉である老害は、社会全体に大きなネガティブな要素をもたらすことになりかねないだろう。

今後、老害という言葉がどのような変化をしていくのかは、社会の変化、人々の価値観の変化をみるうえで、重要な指標になるだろう。