この記事は前回の続きです↓
https://open.spotify.com/episode/22gnxCloiaj5Q0J96T5xFr 今回は、「写ルンです」(簡易フィルムカメラ)がなぜ人気なのかについて、哲学的に考えていきたいと思います。 今では、ス[…]
アトラクション的楽しみ
第二に、「写ルンです」には、アトラクション的楽しみがある、ということが挙げられます。アトラクションといえば、ジェットコースターや観覧車がまずはじめに思い浮かぶと思います。それらと「写ルンです」は、全く違うものだと感じるかもしれません。しかし、両者には共通点があります。それは、非日常を体験するものであるということです。以下、「写ルンです」の非日常的な点をいくつか挙げます。
まず、物珍しいということが挙げられます。「写ルンです」は普段使わないし、見かけることもあまりありません。そして、フィルムカメラであることで、レトロ感があります。このように、「写ルンです」そのものに非日常感があるといえるでしょう。
次に、不便であることが挙げられるでしょう。不便であることは、日常生活においては、忌避されることです。しかし、より便利な方法があるにも関わらず、あえて不便さを体験するということは、非日常的な体験として価値があるものになります。なぜなら、日常生活において便利であることに慣れているがゆえに、不便さが新鮮さとなり、それ自体が非日常感を与えるからです。
また、不便であることによって、工夫の余地が生まれます。「写ルンです」には、顔検知もないし、望遠もありません。撮った写真を確認できず、枚数制限もシビアです。「写ルンです」を使うということは、このような不便さや制約を受け入れて、こちらがそれに合わせて、どのようにすればうまく写真が撮れるのかを考え、工夫しなくてはなりません。この工夫が、写真撮影を行う際の体験となり、体験価値が生まれるのです。
さらに、「写ルンです」は、使い始めから目的が完結するまでの工程が多いということが挙げられます。写真を撮ってから、現像し、実際の写真になるまで手間と時間がかかります。こうした手間や時間は、行為を簡易にするには邪魔なものですが、それを楽しみ記憶に残すには適したものであるといえます。
こうした非日常感は、旅に求められているものであるため、「写ルンです」と旅は相性がいいといえるでしょう。
世界との直接的なつながり
最後に少し抽象的で、広範な説明をしてみようと思います。それは、「世界との直接的なつながり」を人が求めているというものです。
人は与えられた環境に適応するだけでなく、環境自体を作り変える動物です。それを行うには、自らを取り巻く環境・世界を理解し、頭の中に「世界とはこうである」というようなものを描くこと、すなわち、頭の中で世界を構築する必要があります。そして、それをもとに、現実の世界に干渉し、実際に世界を構築していくのです。
しかし、現代社会は高度にシステム化され、構造が見えなくなっており、環境を理解することが難しくなっています。全ての電子機器は、複雑さを極めているし、野菜を買うにしてもそれがどこで採れ、どのように運ばれてきたのかがわかりません。クラシックカーが好きな人は、そのシンプルで理解可能かつ改造可能であることに魅力を感じるといいます。それと比べて、現在の車は、ボンネットを開けるとカバーに覆われていて中がわからないと嘆きます。
このように、あらゆるモノやシステムが複雑化された現在において、より単純でシンプルなもの、すなわち、自ら理解でき、自らの手で関わって、作り上げられるものに対する求めが増えています。実際に、この現象は、あらゆる分野において生じていると思われます。田舎への移住・キャンプの流行(自然との接触)、プラモデルやレゴの人気(構造を作り出すこと)、複雑さを減らすミニマリズム(環境をコントロールする)……。こうした現象の一つとして、シンプルな構造であり、アナログで物理的なフィルムの現像という方法で作られる写真に魅力を感じていると考えることもできるでしょう。
まとめ
以上、「写ルンです」がスマホに比べて不便であるにも関わらず、人気な理由を考察してきました。その結果、行為とは、その直接的な目的の達成だけではなく、行為自体を楽しむことにも価値がある、ということがわかりました。写真を撮るという行為でいえば、写真を撮って記録に残すという直接的な目的ではなく、写真を撮るという行為や過程そのものを体験し楽しむことにも価値があるのです。
そして、「写ルンです」が与えてくれる、行為そのものの楽しみを三つ挙げました。一つ目は、純粋にその行為だけを目的とした単機能の機械であること、二つ目は「写ルンです」のアトラクション的な体験価値があること、三つ目は「写ルンです」がシンプルでアナログであるがゆえにより世界と直接的に関係する体験ができるということです。
以上の考察をしていく中で、また新たな考える種が見つかったので、今後それらを発展させていきたいと思います。